活躍中の当財団奨学生OB・OGからのメッセージ


★2014年度 第2回奨学生OB・OG同窓会を開催致しました。

※頂いた文章をそのまま載せています。

1996年度 (財)共立国際交流奨学財団奨学生 叶 寧 さん (中国)
1期生の叶寧です。1996年から2年に渡って共立国際交流奨学財団という大家族にお世話になりました。経済面だけでなく、精神面でも支えてくださって財団のおかげで、自分の学業に専念することができました。本当に心より感謝致しております。改めて財団ならびに関係者の方々にお礼を申し上げたく存じます。
1998年財団から卒業するとともに大学院課程も修了し、日本企業への就職が決まりました。その後、転職も経験しまして(株)エイジスという会社に勤めることとなりました。2010年10月から中国大連にある子会社へ総経理として赴任し、いま一家で大連に住んでおります。
財団での2年間には思い出がいっぱいありますが、何と言っても伊豆、熱海への研修旅行です。奨学生の皆さんと夜遅くまで飲んだり、騒いだりしてとても楽しかったです。いまも忘れられません。皆さんも財団での交流を大切にし、たくさんの良い思い出を残してください。
私は「失敗は成功のもと」ということわざが好きです。奨学生の皆さんは勉強、研究や生活の面でいろんな苦労、困難、また失意、失敗があるかもしれません。それは決して悪いことと思わず諦めないでください。それこそ乗り越えればより一層成長し、成功に繋がるからです。皆さんはまだ若いですので、失敗を恐れずに多くのことを挑戦しつつ、目標を目指して頑張ってください。
最後になりますが、大連には山があり、海がありともて綺麗な都市です。もし大連へ来られる機会がありましたら案内しますので是非お知らせください。また大連で就職したい、相談したい方がいらっしゃいましたら、遠慮なくご連絡いただければと思います。(もちろん無料ですよ^^)
それでは、皆さんといつかお会いできることを楽しみにしております。
2001年度 (財)共立国際交流奨学財団奨学生 李 枝羲 さん (韓国)
私は2000年度共立国際交流奨学財団奨学金を頂いたミャンマーのティンティンウィンシュイと申します。私は母国ミャンマーで医学部を卒業しまして、日本に留学のために参りました。共立国際交流奨学財団の奨学生の時、横浜市立大学医学部生理学研究科の博士課程で勉強していました。2003年から国立環境研究所で就職できまして、現在、主任研究員として勤めております。共立国際交流奨学財団から2年間奨学金を頂き、とても感謝しております。後輩の皆さま、最初はホームシック、言葉の壁、食事の違い、季節の変化などで辛いかもしれません。しかし、諦めないで頑張ってください。自分一人ではなく、皆同じですから。学校も、お仕事も一日でおわりませんので、自分の周りの人たちと仲良く、楽しくやれる環境を作ってください。先輩たちを支え、後輩たちを助けてください。最後のメッセージですが、良い追随者として頑張って、良いリーダーを目指してください。
自分を信じて夢に向かって頑張ってください。
2001年度 (財)共立国際交流奨学財団奨学生 李 枝羲 さん (韓国)
今年大学を卒業し、現在IT企業に勤めております、金 仙優です。2008年の春、高校を中退し、周囲から無謀だと言われながらも日本への留学を決心した私にとって、共立財団の奨学生になったことは人生最大の幸運でした。とても未熟だった当時の私の可能性を信じてくださった財団の皆様には、今でも本当に感謝の気持ちが絶えません。さて、この場をお借りして少しだけ私のお話をさせていただきます。奨学金を受給できたことにより、私は周りの留学生よりも経済的に恵まれた環境で生活することができました。時にはこのような環境が当たり前に思えてきた時期もありましたが、傲慢になりかけた自分を反省し、今の自分を支えてくれた人々のことを思い出しました。辛い時、逆境や壁にぶちあたった時、歯を食いしばって立ち上がれたのは、こういった周りの人々の気持ちと財団の皆様の期待に応えたいという思いがあったからです。私は、こういった一連の経験を通じて「周囲の人々に喜んでもらうことで、最高のモチベーションが出る」といった自分の「心のエンジン」に気づくことができました。もちろん、人それぞれの価値観や信念は違うものですので、必ずしも全ての人が私と同じエンジンを持つ必要はないと思います。ただ、私が最も言いたいことは、奨学金を受給したことを一つのきっかけと捉え、是非ともこういった心のエンジンを見つけてほしいということです。私にとっての奨学金は、こういった自己成長の基盤となってくれました。今でも至らぬところは多く、まだまだ未熟ではありますが、日本への留学を決心した時の気持ち、将来の可能性と意欲を信じてくださった財団の皆様の気持ちを大事にし、これからも自分の目標に向かって全力投球で努めていきたいと思います。
2009年度 ㈱共立メンテナンス奨学基金奨学生 KANDEL NARAYAN PRASAD さん (ネパール)
後輩の皆さんへ
私は2005年にネパールから来日しました。九州で弘堂国際日本語学校1年半終え、東京の杏林大学で4年間勉強に専任しました。げんざ株式会社夢道sでシニア留学生アドバイザーとして日本に来ている留学生の進路指導、就活指導、アルバイトや企業を紹介し日本で多くの留学生が働きやすい日本をつくっています。
学生時代は勉学と共にボランティア活躍.部活、アルバイトや就活で多忙な3年生の時に奨学金を頂きました。お陰で勉学とボランティア活躍に専任する事ができ、サークルの立ち上げなど良い経験が出来ました。
今になって考えて見るとボランティアサークル立ち上げの体験と国際交流イベントの企画が社会人として活躍する時多いに役立ちました。ボランティアサークルの経験でどんな困難も乗り越えられる自信を身に付き、国際交流イベントの企画から年配の考え方、接し方が学びお客様と話しやすくなりました。
皆さんも是非日本で勉強以外でも様々な経験し、お腹いっぱい食べて下さい。せっかくのチャンスを活かせて活躍を祈っています。
また、共立財団とはOBになって交流会に参加していますが、とても楽しいです。
最後に「夢を持ち諦めずに望めば成功出来ます。」それが皆さんから評価も高く頂き、成長出来ると思います。楽しい毎日過ごして下さい。
2011年度 ㈱共立メンテナンス奨学基金奨学生 MAI MAI CUONG さん (ベトナム)
横浜国立大学2年生のマイマイクオンと申します。2011年に共立財団の奨学生として採用していただきました。
私たち外国人は日本に行く前にどんなに心細いのか、皆さん知っているはずだと思います。言葉はまだ通じないし、文化も違う遠い国に住むなんて不安でいられなかったでしょう。そんな時に、共立財団の奨学生として選ばれた私は言葉にならないぐらい嬉しかったです。それは貴重な経済的なサポートでした。しかし、経済的な問題だけではありません。選ばれたことはもっと大きな意味があります。それは、あの遠い国で守ってくれる、頼りになれる人がいるということです。
日本に来たばかりのころは大変でしたが、私は独りぼっちだと思ったことがありませんでした。友達がいる、そして、いつも相談に乗ってくれる財団の方々もいるからです。また、気づいたことがありました。人間は誰かに期待される時、その期待を応えられるように、頑張れるものだということです。夢を叶うために、そして、財団の方々にがっかりさせないよう、私は頑張っていました。大学を合格し、今ここにいるのも財団の方々のお陰だといつも思っております。
後輩の皆さん、皆さんが共立の奨学生であることを誇って、そして、他の人より恵まれていると思ってください。経済的なサポート、そして財団の方々からの応援を受けて誰もそんなに恵まれるわけではありません。
そして、日本に留学する皆さんは誰でも夢を持っているはずだと思います。何がどうなっても、夢だけは諦めてはいけません。夢を追い掛けてください。そのために、「バカ」になってもかまいません。ここでの「バカ」は一般的な意味の「バカ」ではありません。私の好きな言葉は「バカになれる人はバカじゃない」という小宮一慶さんの言葉です。ここでの「バカ」とは他人からおかしいと思われるかもしれませんが、実は素晴らしいことという意味です。世界を変えるのはとことん「バカ」になれる人たちのお陰です。偉大な科学者アインシュタインだって子供の時よく「バカ」と言われたし、飛行機を発明したライト兄弟も当時の人たちによくばかされたと言われています。しかし、その人たちこそ、素晴らしい人生を送っていました。ですから、皆さん、思うままに、そして、悔いを残さないように生きてください。皆さんの活躍を祈ってやみません。
最後に、財団の方々、心からお礼を申し上げます。
2013年7月 掲載

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